音響エンジニアからの転身、憧れのマエストロとの出会い、そして国際コンクールへの挑戦など菊田さんの半生を紹介しつつ、弦楽器フェアでの見所などを語っていただきました。
クラシック音楽の番組を担当し、間近でオーケストラの音を聴いていくうちに、徐々に楽器への関心が深まっていきます。
しかし学生時代からギターに夢中だった菊田さんにとって、ヴァイオリンという楽器はなんだか畏れ多く、近寄り難い存在だったようです。
初めて触れたそのヴァイオリンを衝動的に購入した菊田さん。
このヴァイオリンという楽器を作ってみたい・・・帰りの飛行機の中でその決心はすでに固まっていたのだそう。
ウィーンでのヴァイオリンとの決定的な出会いにより、35歳にしてヴァイオリン製作を始めた菊田さん。平日は放送局での仕事、週末は製作活動という日々が続きました。
しかし、転機が訪れます。知人から偶然見せてもらった、Nicola Lazzari (ニコラ・ラザーリ)さんのヴァイオリン。その美しさに衝撃を受け、自分が目指すスタイルはこれしかないと確信します。そのためにはクレモナへ移住して彼に直接習うしかない、と日に日に思うように。
その背中を押したのは、実は奥様のひさ子さんでした。こうして20年勤務した放送局を退職し、奥様とともについにクレモナへ移住したのです。
写真は、クレモナの駅に到着したときの記念撮影。
クレモナの国立弦楽器製作学校では、製作の実技だけでなく、数学や物理、体育などの一般教養科目もあり、忙しい毎日でした。
そのすべてを全力でこなした菊田さん、気づけば最優秀の成績で、奨学金を得ての卒業でした。
クレモナでは、憧れのマエストロ ニコラ・ラザーリさんにも師事。
なんと同い年の師弟関係ですが、ラザーリさんに学んだことは菊田さんの楽器製作に大きな影響を与えました。
初めて製作コンクールに参加したのは2005年。チェコのコンクールでした。
結果は第4位。この時の優勝は、日本時代からの友人で、ライバルでもある高橋明さん。手応えを感じながらも、その後音の改良に燃える結果となりました。
続いて翌年、2006年にチャレンジしたのが、ヴァイオリン製作コンクールの最高峰と言われる、ヴィエニアフスキーコンクール。最終審査では、フルオーケストラをバックに協奏曲でその実力を試される、過酷なコンクールです。
課題であった楽器の音量などのために設計に改良を加え、作品提出の前日まで調整を続けました。
楽器製作を始めてわずか10年で、最難関のコンクールを制した菊田さん。
日本人の優勝は、もちろん初めてです。
さらに、翌2007年には、チャイコフスキーコンクールのヴァイオリン製作部門でも金メダルを受賞。銀メダルの高橋明さんと栄冠を分かち合いました。
大きな国際コンクールを制した後も、意欲的にチャレンジを続ける菊田さん。
コンクールは、いろいろな国の審査員に、自分の作品を評価してもらえるチャンス。自己研鑽の意味で、現在でも積極的に出品しています。
写真は、2012年のクレモナ・トリエンナーレにおいてファイナリストとして表彰台にあがっているところ。
菊田氏の挑戦は、まだまだ続きます。
現在は、クレモナの駅からほど近いところに、親友でありライバルでもある高橋明さんと共同で工房を開設しています。
広い建物の1階部分ですが、壁などを立てて改装する前は、ダンスのレッスンができるくらいの広さでした。
大掛かりな作業は内装業者の力を借りたものの、ほぼ2人の力で工房としての体裁を整えました。
天井も高く、楽器の音も良く響くため、仲間が集まってお互いの楽器の試奏会となることもたびたび。
クレモナは中世の街並みを残した美しい地方都市。
国内外からの観光客はもちろん、遠足の子供たちまでやってくるのですが、プロのヴァイオリン職人として登録しているとガイドブックなどに工房の住所などが掲載されるため、人々が見学にやってくることもしばしば。
いつか2人の工房にも、目を輝かせた子供たちがやってくるかもしれません。
ヴァイオリンについては、この数年での作品の変化や音色の違いをお楽しみいただければ幸いです。
ヴィオラは、ニコラ・ラザーリ先生のもとで修行していた時に製作したもので、ラザーリ先生の型を写させていただいた41cmのモデルです。
また初展示となるチェロは、製作学校時代の恩師、ロレンツォ・マルキ先生の指導のもと製作した、思い出の楽器です。日本の皆様には私のチェロは初披露です。今までヴァイオリンとヴィオラしか展示したことがなかったものですから、今回は一人でも多くのチェロ愛好家の方に楽しんでもらえればと思い、持参致します。
日本でお会いできますことを、楽しみにしております。
ぜひご来場下さい。」
⇒ これまでの作品の写真・音色のページ